瞳堂の月下独酌―blog―

瞳堂主人のブログです

独坐大雄峯

独坐大雄峯(どくざ だいゆうほう)
ひとり この雄大な山に坐していること
 
ありがたいと思うことって、何ですか?
あらためて言われると、答えに困るけどね。
うれしかったことや楽しかったことは、過去にいくつか、あるにはある。
でも、そういうことではない。
自分の人生を、冷たい水でジャブジャブ洗えば、そんなエピソードなんて、アッという間にあとかたもなく流れてっちゃうもんね。
さらしてさらして、その後、何が残るのか?
わざわざ言ってみるまでもないことばっかりだ。
朝日が出て、新しい光を全身にうけることも、ありがたいことだ。
飯一杯食うだけでも、ありがたい。
あなたに逢えたことも、そう。
考えたら、すべて奇跡でできている。
生きてるだけで、ありがたいってこと。
まさに、独坐大雄峯。

取り壊し

老朽化ってことで、取り壊すことになった。
東京オリンピックより前に建てたんだから、人間でいえば還暦間近だ。
団地っていっても、長屋をタテに4段重ねたような感じで、下町風の近所付き合いがあった。
おととい見に行ったら、半分壊されていて、今日見たら、何もなくなっていた。
形がなくなってみると、思いだけが甦ってくる。
不思議なもんで、いつも日が当たっていて、楽しいことばかりだったように思う。
隣近所でいざこざもあったし、誰かが死んだりしたにはしたが、そんなことまでが、良い思い出になる。
死ぬまであそこに住んでたら、何も思いはしなかったろうよ。
心ってのは、ゆさぶられなきゃそのまんまだが、事あるごとに、大きくも、強くも、優しくもなるんだろう。
団地さよなら、取り壊しありがとう。

春は原宿

春は原宿 やうやう白くなりゆく山際
少しあかりて 紫だちたる雲の 細くたなびきたる

原宿は、いつも人でいっぱいだけど、春はまた格別だな。
受験が終わり、卒業して春休み、新しい生活が始まる前の、宙ぶらりんな微妙な感じ。
今も昔も、竹下通りはチャラチャラしてて、人は一時楽しんで、通り過ぎてゆくだけだ。
こんなに人だらけで、何が楽しいんだろう?
若いころから、そう思ってた。
それでも頽らないね、原宿は。
街の魅力に、人が踊らされるんだろう。
そういうの、冷めた目で見てたけど、ドップリと夢中になれるってのは、ちょっとうらやましくもあるね。
これから先、何かにときめくことがあるだろうか。
バカを承知でやりゃあよかったよ。
ふり返れば、なぜか哀しい、春は原宿。

ひなあられ

ひなあられは、米粒のはぜたようなやつに、砂糖がまぶしてある。
ピンクや緑のもあって、大玉のがまざってる。
子供のころは、弟と大玉の取り合いになったね。
ところが、学生時代に京都で喰ったやつは、甘くなかった。
煎餅の、粒の小さいやつって感じ。
醬油だか塩だかの味で、桜エビや青のりで、うっすら色がついている。
これはこれで美味い。
料理だと、関東風は辛めで、関西風は甘めだけど、ひなあられは逆だった。
関東風が甘く、関西風が辛い。
材料は、関東がうるち米で、関西がもち米。
色はどちらも、ピンク・白・緑で、これは多分、菱餅の三色からきている。
関西風のも美味いけど、記憶の中枢に響くことはない。
甘いやつを喰うと、子供のころの、優しい人たちの思い出が、おぼろによみがえってくるようだ。

やさしさ

ジョージ・ウィンストンのピアノが、80年代の懐かしい場面を連れてくる。
みんな、やさしかったよな。
たいがいの事は断らなかったし、むしろ、すすんで損をしていた。
バカさ比べをしてたようなもんだ。
それが、ある種のやさしさで、カッコいいと思ってた。
80年代は、やっぱり華やかだったんだな。
景気もよかったし、大丈夫、何とでもなるって感じがあふれていた。
余裕があるから、人にやさしくできたのか、ホントにやさしかったのか。
時代は変わり、あの頃のツケと言えなくもないが、かなりギスギスしてきたね。
この世を去った仲間もいるが、やつらは今もやさしいまんまで、バカのまんま。
こっちも負けずに、バカのまんまだ。
も一度、あんな時代は来ないだろうけど、やさしさって、バカさ加減のことなんだよ。

教外別傳 不立文字

教外別傳 不立文字 (きょうげべつでん ふりゅうもんじ)
教えのほかに むしろ伝えるべきものがある
教えや文字では伝えることのできない 何か

一生懸命に勉強して、やっと大学に入った。
その揚句が、イタ飯屋のバイト三昧。
ある時、こっちの仕事の何を見たのか、シェフが急に笑い出し、「お前、ほんま根っからの料理人やな」と言う。
単位も足りひんのやし、学校やめて料理人になれや、「なんぼでも、教えたるさかいに」
そう言われて、少し嬉しかったんだけどね。
「教わるんじゃなくて、技は盗むもんです」
偉そうに言って、結局、料理人にはならなかった。
数年後、友達を連れてシェフの新しい店に行った。
「あっ、瞳君のとおんなじ味だ」
メニューは、ガラッと変わってたんだけどね。
あの時、教わらなかったから、大事なものを身につけられたのかも知れない。

仕事

時として人は、自分が一番仕事してる気になることがある。
こっちはこんなに仕事してるのに、あいつは何にもしてないなんてね。
むこうの方が沢山もらってるはずなのに、までいくと野暮の極みだ。
出来高みたいに、目に見えるのもあるけれど、人知れず気を回したり、さりげなくフォローするような、形にならない仕事もある。
見えない仕事の方が、多分、大事なんだろうよ。
ところで、仕事を沢山すれば偉くって、しない奴はダメだなんて、一体誰が決めたんだい。
こっちは、何も言えた義理じゃないけどね。
仕事ったって、お金のためにするものばかりじゃあない。
一つ、確実に言えるのは、生きてるだけで大仕事だってこと。
あくせく働こうが、ダラダラなまけようが、生きてることからはまぬがれない。
たいしたもんだよ、生きてるんだから。