瞳堂の月下独酌―blog―

瞳堂主人のブログです

討ち入り

元禄十五年十二月十四日は、忠臣蔵でおなじみの討ち入りの日。
大石内蔵助ひきいる赤穂浪士47人が、吉良上野介の屋敷を襲撃した日だ。
その夜は、冷え込みが厳しかったが、実際は雪は降らず、晴れて月が冴えていた。
夜中の12時ごろに行動を開始し、月の光の下で軍備を整え、3ケ所に分かれて集合した後、粛々と吉良邸付近に集合。未明4時ごろに、討ち入りを決行した。
この日、十四日の月はほぼ満月に近く、その時刻には沈みかけていたはずで、日の出にもまだ3時間近く間があった。
つまり、月も日もない一番暗い時間帯で、そのうえ最も寝静まった頃でもあるから、完璧に武装した部隊が攻撃を仕掛けるには、もってこいのタイミングだったろう。
この日付を、グレゴリオ暦に換算すると、1703年1月30日。もう、とっくに年が明けちゃってる。
今日、12月14日は、四十七士の墓がある高輪の泉岳寺で、義士祭が行われるけど、旧暦にするとまだ十月二十八日。実際の討ち入りには一月半早い。
旧暦と新暦の違いは、ただ日付の違いだけじゃなく、舞台背景も含め全てを大きく変えてしまう。