瞳堂の月下独酌―blog―

瞳堂主人のブログです

珍しく、家のそうじをしようと思って、いろんなものをどけて、あっちこっち拭き始めた。
軽くやるつもりだったのが、勢いあまって、何故か柱を拭き始めて、止まらなくなった。
拭くどころじゃなくて、磨くってとこまでいっちゃって、そうなると単なるそうじの域を超えている。
うちは、この家の四番目の入居者だそうだ。
築50年。この柱は、4つの家族の暮らしを見つめ続けてきた。
その柱を、今日は一心に磨いた。
おかげで、木目が綺麗に浮かび上がって、良い味が出てきた。
50年前には、ただの材木。
4つの家族の日々を、黙って支え続けた50年が、ただの材木を見事な柱に変えたんだろう。
今となっては、魂が宿っている。
この家に12年も暮らしてきて、今日まで、この柱の大切さに全く気付かなかった。
神や霊を数える時に、柱って言葉を使う。
だからってわけじゃないけど、先祖の墓をそうじするのと、家の柱を磨くのは、全く同じことだ。
それは、墓や柱を磨いてるんじゃなく、自分の心を清めてるんだな。