瞳堂の月下独酌―blog―

瞳堂主人のブログです

単独で「悪」は存在しない。
「善」があるから「悪」があり、「悪」があるから「善」がある。
それでも、善と悪なら、善をとるのが人情だろう。
豆まきでも、「鬼は外」「福は内」って言うからね。
そうやって、良い事ばかり集めた結果、わけのわからない悪いことが、山ほど起きていませんか?
善と悪とは天秤のつり合いだから、善が増えれば悪も増える。
だから、悪を排除したり、無くそうとしたりしないことだ。
悪玉の側からすれば、善玉こそ悪なんだから。
悪を生むのが善ならば、善の方に問題がないか考えよう。
善に存在価値があれば、悪にも存在の意義があるんでね。
もし、善にかこまれて生きたいのなら、自分が悪に徹することだ。
そうすりゃ、まわりがみんな善になるのさ。