瞳堂の月下独酌―blog―

瞳堂主人のブログです

厄除

厄は、除けるにかぎる。
お寺で、厄除けの護摩を焚いてもらうのもいいけど、自力で除ける方が確実だ。
丁半バクチをやったとして、負けが込んでる奴と同じ方には賭けないってのは、鉄則だろう。
好き嫌い以前に、波動に違和感のある人には、近づかない方がいい。
波長が合う合わないってのとは別に、波動が心地よくないってのがあるから、そういう人や場所は絶対に避けること。
人ごみの中を歩くときは、なりの良くない人、歩くリズムのおかしい人の後ろは歩かない。
まわりに迷惑がられても、わざとゆっくり歩いて、間に別の人を入れるか、無理しても、右か左に避けること。
「邪」の通る道は決まっているので、そこに足を踏み入れないことだ。
厄は伝染する、だから接触しないのが一番。
もし、触れてしまったら、指を弾くこと。

花粉症対策

その昔、知り合いに、春になると激しくクシャミする人がいて、聞けば、スギ花粉のアレルギーだと言う。
花粉ごときにやられたと聞いて、「バカこくでねぇ!」と笑ったもんだが、数年後、こっちもなった。
医者や薬は嫌だから、自分なりに花粉症対策をやってみた。
メグスリの木茶、甜茶シジュウム茶、豆乳、その他。
ヨーグルトが効くっていうけど、発症するずっと前から毎朝食べてたのに、なった。
木酢で劇的に治るときいたときは、うすめて鼻にスプレーしたこともある。
結局、どれも効果はなかった。
その後、ひょんなことから、昼飯に手作りの弁当を持たされることになったら、だんだん症状が軽くなった。
誰だかわからない人の作ったモノを喰わなくなったら、良くなったってこと。
遺伝子組み換えや添加物の影響かも知れないね。
だから、こっちの花粉症対策は、出所の知れた物しか喰わないこと。

登校拒否

「登校拒否」って言葉は、いつごろ出来たんだろう。
昔から、学校に行きたがらないやつはいたけど、社会問題にはなってなかった。
「登校拒否」って言葉がひろまるにつれ、市民権を得るというか、逆に、そういうのもありという肯定になる。
あの頃、この言葉があったら、こっちも登校拒否してたかもしれない。
学校は、とくに楽しいとは思わなかったし、やりたくないことが沢山あったんでね。
とにかく、学校は行かなきゃいけないもんだと思ってたから、行ってたってだけのことだ。
でも、今の学校の様子をみてると、登校拒否するくらいの方が、まともな人間なのかも知れない。
生徒も先生も、息が詰まりそうだもんね。
本当は、先生が一番、登校拒否したがってるのかもよ。
学校は、人を客観評価しようとし過ぎる。
生身の人間には、主観しかないってのにねぇ。

朝の夢

4:25 トイレに起き、水を飲み、寒いベランダから月を見た。
気がつくと、どうやら神社に行くらしかった。
ゆるやかな山道を、そぞろに登る人にまぎれて歩いていると、誰か、背中を押すやつがいる。
よけようと早足になっても、ついて来るようで、また背中を押された。
立ち止まり振り返ると、古い絣の野良着を着た、背は低いがガッシリとした男だった。
男は、「連れてって下さい」と懐かしげに言う。
困っていると、「あなたは、鳥居の中に住んでるかただから、魚をとることはできないでしょう?私がとって参りますから」と言い、道をそれた。
やがて、何か抱えてきた男は、「鱈(たら)です」と言い、それをよこした。
持たされたのを見ると、それは2本の蕪(かぶ)だった。
妙な夢だ、鱈だったはずの蕪の茎の、黄緑色だけ鮮烈によみがえってくる。
あの男、こっちのことを、「鳥居の中に住んでるかた」と言ったが、一体何のことだろう?

春一番

こないだ、春一番が吹いた。
春一番にも、定義がある。
立春から春分までの間に、その年に初めて吹く南寄りの強い風のこと。
冬型の気圧配置を「西高東低」って言うけど、春先にはこの型が変化してくる。
低気圧が日本海を進んできて、その低気圧に向かって、南の高気圧から風が吹き込む。
それで、春一番が吹いて、気温が上がる。
春が来たって喜んでると、次の日はまた寒くなる。
「寒の戻り」ってやつだ。
どうもクシャミが出て、春一番が運んできたスギ花粉が原因なのか、急に寒くなって風邪ひいたのか分からなくなる。
いずれにしても、昨日のつづきが今日ではなく、今日のつづきが明日ではないってことを、春一番が教えてくれる。
その日その日で、いろんな風が吹くけれど、立ち向かうのか、やりすごすのか、気にしないのかは、その時の気分次第ってことなんだな。

FM

子どもの頃、うちにソニーのラジオがあった。
AMとFMの切り換えスイッチがあったけど、いつもAMで、文化放送TBSラジオがかかっていた。
AMは知ってるけど、FMって何だろうと思って、母親に聞いてみた。
「FMって、何?」
すると、すごい剣幕で「子どもは知らなくていいの!」と怒られた。
幼心にショックを受けて、以後、スイッチはAMのままだった。
中学に入って、ある日、友達がものすごく眠そうだったから、「どうしたの?」ときくと、「夜中の3時までFM聞いちゃってさ」と言った。
「こいつ、大人だ」と思って、こっちは悶々としたね。
その夜遅く、こっそりFMを聞いてみたけど、ずっと音楽で、期待外れだった。
今思えば、AMのほうがある意味、下世話だ。

無一物中無尽蔵 有花有月有楼台

無一物中無尽蔵 有花有月有楼台
無一物 中 無尽蔵 花あり 月あり 楼台あり 
(むいちもつ ちゅう むじんぞう はなあり つきあり ろうだいあり)
何もない心には 何でも入れることができる そこには 花も月も建物も何でも見ることができる

空の盃は、空っぽだからこそ、酒を注ぎ入れることができる。
注いでも注いでも、こっちはどんどん呑んじゃうから、盃はいつも空っぽだ。
そして、酒を満たした盃には、花だろうが月だろうが、贅を尽くして作った建物だろうが、何でも映しこむことができる。
その盃の、酒に映ったすべてのものを、こっちは何でも呑みこんじまう。
ブラックホールみたいなもんさ。
それでも、心はいつも空っぽ。
ただ陶然として、楼台の月と花とに酔うばかりなのさ。